と、このように人生を戦いに奉げていたそうです。この時までは。
3. 武蔵の老後
戦争後、世の情勢が安定した1639年、大阪や京都、江戸などに行っていました。
その時、島原天草一揆の報告を将軍に行い戦功の認証を受けるという大役を担っていました。
要するにゴマをすっていたわけです。
武蔵「天草一揆、鎮圧完了したお!報酬ほしいお♡」
家康「そうか。ようやった!褒美をやる!我でよろしいか?//」
武蔵「え!?//」
などと言う会話があったかは保証しませんがこの時代の人は両刀使いだったという話もあります。
(二刀流の武蔵だけに)
※両刀使いとは男女どちらもイケる人たちのネットスラングです。
その後は大剣豪時代とは打って変わって優雅な生活をしてきます。
1640年夏、肥後熊本に訪れ旧友である長岡興長(熊本城主・細川忠利の首席家老)に会っていました。
そのまま熊本にひっそりと滞在する予定でしたが細川家がそれを許さず細川家の公客として手厚くもてなされていました。
年間米300石 (現在に換算すると2千2百万円)ももらってきたそうです。
細川家と直接縁がなかった武蔵からしたら破格の値段ですね。
簡単に言ってしまえば隣の家の住人から無償で2千2百万円もらうということです。
武蔵「これから熊本に滞在しようと思もっとりやす」
細川家「滞在するならお金出すよ?」
武蔵「どのくらいだい?」
細川家「二千二百万くらい(ボソッ)」
武蔵「マジか!!(ガタ ) ならばありがたくいただこう!!」
この待遇は武蔵が亡くなるまで続きます。
すごいですな。細川さんいい人過ぎる。
4. 武蔵の死と武蔵の自伝「五輪書」
知っている方が多いと思われる武蔵の「五輪書」の執筆が1643年冬から始まります。
自分のことをたくさんの人に知ってもらいたかったんです。
「五輪書」は武蔵が人生で培った経験や極意を直筆でまとめ上げた究極の兵法書です。
簡単に言うと自分のやってきたことを自慢したいがための自己満足小説です。
武蔵「我のこと知らんとかありえないんですけどw」
序文、地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻
で構成されています。
内容を簡単に説明すると
序文には自己紹介
地の巻:学ぶための準備
水の巻:剣術
火の巻:戦い
風の巻:他流
空の巻:心の在り方
について書かれています。
武蔵の考えとして美しく戦い美しく負けるくらいなら卑怯でも勝てばよかろうなのだーというのが根本にあったそうです。
そこには賛成です。
執筆する際、熊本の西にある岩戸山に登り観音と諸仏に執筆祈願をしました。
この観音がFGOの武蔵の絆礼装と宝具演出に映ってる観音様です。
やはり貫禄があります。
書き上げるまでに病に倒れたわけですがツンデレおじさんなので、診察を拒否し山にこもって執筆していました。
医者「武蔵さん。お体悪そうなので診察させていただいてもいいですか?」
武蔵「べ、別に診察とかいらないんだからね!元気なんだからね!」
医者「何言ってんだコイツ(そうですか…)」
さすがに心配した優しい細川さんは医師を山に派遣してようやく診察を受けました。
医者「今度こそ診察させていただきますよ」
武蔵「だ~か~ら~診察しなくていいって言ってるでしょ!!」
医者「細川さんがどうしても見て来いと」
武蔵「細っちが!?ん~なら仕方なしだな。診察するといい」
医者「ほんとに大丈夫かコイツ(そうですか…)」
信念を持ったおじさんはめんどくさいですね。
そんなことをしつつ五輪書は完成したわけですがそのすぐあと病によって他界してしまします。
1645年6月のことです。
これが武蔵の最後です。晩年は剣豪でなく作家のようでしたね。
武蔵「いや~、五輪書書くの疲れたわ。てか人生に疲れたわ。そろそろ寝るか!(パタっ)」
5. 疑惑の巌流島の決戦
いろいろな説があり詳しい内容が分からない巌流島の決戦ですが、武蔵の書いた五輪書には巌流島の決戦については一言も書かれていません。もしその決戦が行われていたら剣の全盛期である26~29歳のころと推測できます。そうなると佐々木小次郎さんは60歳後半になります。
武蔵「来たか。小次郎」
小次郎「来たぞ。武蔵」
武蔵「3、2、1、0でお互い振り向いて切り合う。これでいいか?」
小次郎「オケ」
武蔵「いざ尋常に!!3、2、そいっ」
小次郎「アイエー。武蔵、貴様卑怯だぞ!!0で切り合うのではないのか!?」
武蔵「そんなの知らん!!勝てばよかろうなのだー!!連勝記録の更新のためだ、許せ、小次郎」
小次郎「そっかー、ならば許す!!」
さすがにここまでとは言いませんが武蔵の決闘方法はこんなのばかりだったそうです。
汚い、さすが武蔵汚い!!
死ぬくらいなら勝って長生きしたいという信念があったようです。
6. まとめ
英雄:大剣豪として命を懸けた決闘は60戦以上無敗
死因:寿命(ガンという説)
大剣豪とは言っていますが勝つためには手段を選ばなかったようです。
生涯を通して変わらなかったのは信念を貫き通す覚悟ですかね。
これだけ聞くとかっこいいのですが「五輪書」執筆の際に見せたツンデレもあるという面白い人という印象があります。
ただし信念を貫き通す覚悟は現代人である私たちは参考にしてもいいのではないでしょうか。
http://fatedaisuki.iaigiri.com/fate_kiji/arupen.html
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