これをきっかけに国家権力による復讐劇が始まります。
ルイ15世の後継者であるルイ16世により邪見に扱われます。
タイミングよく天敵であった英国大使ゲルイシ伯爵とケンカしてしまいます。
ゲルイシ大使「デオンとか調子乗ってね?てか男女どっち?」
その時にデオンの性別に関する疑問が政治問題になります。
この問題はロンドンやパリで賭けが行われるくらい大きなものになってしまいます。
怖い怖い。
ちょっとしたスキャンダルが国中に広がってしまうのは現代と同じですね。
1777年8月27日、49歳のデオンにルイ十六世の厳命が届けられ、終生、女として生きることを余儀なくされました。
「朕はシャルル=ジュヌヴィエーヴ=ルイズ=オギュスト=アンドレ・ティモテ・デオンに、常日頃着用している龍騎兵の軍服を脱ぎさり、己が性の衣服を身につけることを命じる。同時に、女性にふさわしい身なり以外の服装で、王国内に姿を見せることを禁じる」
要約すると、「お前女な」
これは屈辱的な命令です。
趣味であった女装が性別として確立してしまうことですから。
デオン「ちょっと楽しんだだけなのに……」
まぁ、自業自得ですけどね。
8.マリーとの絡み
このときデオンを心配してくれたのが、満を持して登場!
22歳の若き王妃マリー・アントワネット
「ヴィ・ヴィ・ラ・フランス」
マリーは取り巻きから「哀れな女騎士」の話を聞かされ、彼を女に違いないと信じきって、同情し、関心を持ったのです。
マリー「ヴェルサイユのドレスメーカー、ローズ・ベルタン嬢に衣裳を誂えさせなさい」
届け役の侍女に
マリー「国からいじめられた女性がいるのですか?かわいそうに……せめて服とお金を差し上げましょう。出来れば助けてあげたいのだけれども……」
といい、下賜金二万四千リーヴルとともに一本の扇子をそえて、王妃の贈り物としてデオンに授けました。
素晴らしい王妃ですね。
マリーに関しては別の記事で紹介したいと思います。
9.晒し者・デオン
ローズ・ベルタンの衣裳一式が出来上がり、1777年10月21日、一万一千の処女殉教者聖ウルスラの祝祭日に、男性服を完全に放棄し、永久に女性となる儀式が取り行なわれました。
これ以降デオンは決闘の時さえも女装だったそうです。
その後は世間の目から逃れるため、ヴェルサイユのコンテ通りの小さなアパルトマンに身を隠すわけです。
要するに現実逃避です。
デオンはのちに愚痴を漏らしています。
デオン「女きつい、女装で十分だったわ……」
11月の中旬を過ぎてから、「女」となったデオンは宮廷に姿を見せました。
当然のことながら、大衆の好奇の的となるわけですよ。
50のおっさんが女装して宮廷にくるわけですからね…
昔とは違って人々の好奇心は、かつてサンタト・ペテルブルクで評判となったマドモワゼル・リア・ド・ボーモンの、あの可憐で華車な「女らしさ」に寄せられたものではありませんでした。
人って残酷ですね。予想通りの反応です。
当時の新聞は、「おっさんが女装してるぞww激ヤバww」みたいなことを書いていたそうです。
50歳になろうとしていたシュヴァリエ・デオンには、生娘とかけ離れたイメージでした。
デオン「やっぱしんどいわ……」
まあやっぱり自業自得ですけど
10.デオンの最後
デオンの最後はあっさりしています。
1810年決闘の際フェンシングで受けた傷が致命傷になりロンドンの裏町でなくなります。
享年83歳です。
遺体は解剖され、立ち会った医師の証明書により男と判明しました。
体は男とは思えないほど丸みを帯び、胸は男のものでなかったそうです。
もちろん毛は生えてなかったみたいですよ。
理想の男の娘とまではいかなかったみたいですが男の娘は本当に存在したんです。
希望を持て男たち!!
11.まとめ
英雄:フランスのためにスパイとして貢献し、外交官として国のために尽力。
死因:フェンシングの剣による外傷(感染症か?)。
デオンは趣味を仕事にできた人ですね。
現代人からしたらうらやましい限りですが。
変に権力を持ってしまったために自滅の道を歩んだわけですね。
何度も言いますが男の娘は本当に存在したんです。
一度でもいいから会ってみたいですね。
まあ皆さん権力を振りかざしたりするのはなるべく控えましょう!!
http://fatedaisuki.iaigiri.com/fate_kiji/arupen.html
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